盛岡大地について

盛岡大地は、詩人である。詩人であると同時に、旅人だったり、役者でもあるし、絵描きでもあるし、ラッパーだったり、ピエロのようでもあるし、聞いた話によると惑星も消せるらしい(手品師?)のだけど、私は、彼はやっぱり、詩人だと思っている。


大学で彼と出会って、まだ間もないころ、当時わたしは実家に住んでいて、わたしが降りる駅のみっつ前の駅がだいちさんの降りる駅で、たまたま帰りが一緒になって、最初はなんとなく気まずい感じでぽつぽつと会話をしていたのだけど、お互いに無理をしている感じが、それはそれでよかったのだけど、いや、でもよくなかったんだな、よくなかったから、わたしが「わたし喋らなくても大丈夫なんで無言でいいですよ」とか言って、だいちさんは「そっか」とか言って、本当に何も喋らずに、小田急線に揺られて帰った、というできごとがあって、その話は今でもサークルの人たちにからかわれたりするのだけど、わたしは自分では、この話は嫌いじゃない。いまだにだいちさんとは上手く話せなくて、でも、その上手くできない距離とか雰囲気がわたしは好きで、だから、このあいだ、だいちさんと池袋から新宿まで歩いて帰るというよくわからない状況になったのだけど、そのときにサークルの話とか、どうでもいい人のことを喋ってしまったのは、なんだかちょっと違ったな、と思って、後悔している。
わたしは、彼の<<フラグメント>>という詩がとても好きで、なぜかというと、彼の呼吸のリズムがそのまま言葉になっているようで、その感じは、わたしが好きな、だいちさんとの微妙な距離と同じに感じて、そしてそれは、だいちさんの、演技やパフォーマンスからでは、わたしは感じることができなくて、言葉には出来ない、言葉にはしていない時の感覚を、言葉から感じるというのは、とても変だとは思うのだけれど、でもだから、わたしにとって、だいちさんはやっぱり、詩人なのである。

今回のストアハウスカンパニーの公演で、だいちさんを見ていて、何かが彼の中でひと段落、終わりつつあるんだな、と感じて、そうしたら、彼自身もそう言っていたので、すごく無責任な言い方だけれど、だいちさんが、良い方向へ向かっていってくれたらいいなと思います。
サークルの同期とも話していたのだけど、だいちさんって、後輩からは特に、変人扱いというか奇異の目で見られていて、まあそれは彼自身がそう振舞っているからなんだろうけど、本当は、至極真っ当で常識的で、後先も考えるし、だから、わたしや他の人が心配するようなことは何もないのだろうけど、わかっていてもはらはらさせられるのが、だいちさんなので、これからも、一歩離れた場所から、はらはらしながら見ていたいです。
あと、ひとつおせっかいを言うと、だいちさんには、先生になってほしいです。幼稚園とか小学校とか、だいちさんが先生だったら絶対いい。楽しい。